大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)4002号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕三、示談の効力について、

ところが、本件事故による原告の損害に関して昭和四二年四月二八日原、被告間に原告主張のとおり示談が成立したことは、当事者間に争いがない。原告は、右示談成立後予想していなかつた原告の症状悪化により、その後の損害を本訴において請求し、しかも示談契約中、後遺症にふれた部分は無効である旨を主張する。これに反し被告は後遺症を含くめてすべて解決済である旨を主張するので、以下この点について判断する。

<証拠>によると次の事実が認められる。

1、原告は、事故後坂本外科病院において、入・通院して治療をうけ、奈良県立医大病院等で精密検査をうけ、昭和四二年三月三日からは同病院に入院した。それまでの症状として特に脳波所見として「ヒステリー兼てんかん」を示したこと、昭和四一年末ごろは卒倒するなどの発作をくりかえし、左手のしびれを訴えたこと、なお昭和四二年二月一四日ガス中毒による自殺未遂で右坂本病院に入院したことがある。奈良県立医大において診断の結果、頸椎捻挫、腰椎捻挫、椎間板損傷として、バレー症候群の症状があり、入院してからは頭痛、目まい等の自覚症状も他覚的に認められた首の運動痛などの症状も半減し脳波検査でもてんかん等の異常は認められず同年四月二九日退院して通院することになつた。当時、原告の症状は一応固定するものとみられ、被告は担当医の意見を聞いたうえで示談交渉に応じて原、被告間に示談が成立した。その際事故から一年余も経過していたが、後遺症について、「後遺症状が出たときは、自賠保険の被害者請求で解決する。」旨定め、これまで治療費等として受領済のものを別にして慰藉料金六〇万円で示談契約がなされた。

2、その後も原告の経過は良効で、軽作業ならば就労しうると診断され、昭和四二年八月一日担当医から就業許可がなされた。そこで原告は、日本警備保障会社に勤め守衛をしていたが、一週間しか続かず同月二二日再び卒倒して奈良県立医大病院に運ばれ同年九月二〇日から再度入院した。そのころ同病院で初めて受診した当時より悪くなり、発作回数も卒倒時間も多くなり、担当医が第三、四頸椎の椎間板損傷の手術をすることにより治ゆする可能性があるものと判断して、手術を施行したが、依然として前の症状とは変りなく、握力も低下した。昭和四三年一二月末ごろの現症状は、頭痛等を訴え、時々数分間の意識消失、卒倒をする、他覚的な神経症状として大、小後頭神経の圧痛、頸椎棘突起の圧痛があり、また頭部運動痛、上腕、下肢に知覚障害があり、昭和四二年四月の退院時からすると、やや悪化している程度であるその症状からして、原告の仕事として自動車の運転は不可能で、重労働や高所での仕事、人との交渉なども出来ず、事務的な軽作業が適当であると担当医は指示している。その後も余り変化が認められない。

3、原告は右病院を昭和四二年一二月一一日退院しその後ずつと通院しており、現在でも月一日通院している。生活は生活保護をうけ、親戚の畳屋で時々手伝をして小遣程度をもらつている。

他に右認定を動かしうる証拠はない。右事実によると、原、被告が示談した当時、原告の症状は軽快し固定したものと担当医はもちろん双方とも認識していたものと考えられるが、原告がその後就職をはじめるや症状悪化して、現在でも当時より少し悪いのであるから、示談時において予測していなかつた事情の発生があつたと認めて差し支えない。示談書によると、後遺症のことを予想して、これによる損害は自賠保険の後遺補償金を原告が受領することで解決する旨と、今後いかなる事情が生じても一切異議を申し立てないと記載されている。しかし、これはあくまでも示談当時予測していたものに限り、予想できない不測の再手術、後遺症による損害を含くめる趣旨でないから、(最判昭和四三年三月一五日、集二二、三、五八七頁参照)示談後原告の症状悪化による損害について、右示談の効力は及ばないと解される。そうすると、原告が主張するように後遺症に関する部分の右示談契約について錯誤があるということはできず、また被告主張のように一切解決済ということはできない。そこで原告は、示談後生じた後遺症のうち、当初予測できなかつたものの損害について、被告に賠償を求めることができる。

4、ところが、<証拠>によると、原告は、飲酒すると症状に悪影響があるので、医師から禁止されていたが、昭和四三年八月七日夜大阪市南区灘波で飲酒したうえ喧嘩して顔面を殴られ左まぶたに傷をうけたこと、同月一〇日四国行の関西汽船あけぼの丸に荷物も持たず乗船して、後部デッキから海中に転落して一時間余も漂流して救助されたこと、原告はこれがため別に身体に影響はなかつたと述べているが、担当医は痛み、しびれがひどくなり、発作も多くなつたのでないかと推測していること、だがその後の影響について確認されていないことがそれぞれ認められる。右認定に反する証拠がない。

右事実によれば、原告は療養中であるのに、生活態度が良くないこと、また健康な者でも相当疲労する筈の海で漂流をしたのであるから、右事件後の症状が担当医が確認していなくても、これまでの症状より悪化したものとそれぞれ推認しうる。

ところで、本件事故による後遺症について、被害者たる原告は、その増大について自ら可能なかぎり防止に努力すべきであるのに、かえつて悪化するような行動をとつたのであるから、右事件により原告の症状が何ら影響がなかつたと認められない以上、その後の症状について原告に多大の過失を認めて然るべきである。特に本件が示談後予想していなかつた後遺症についての問題であり、どこまでがその範囲なのか限界が問題となるところ、本件事故から約二年四か月を経過して右事件の発生をみたのであるが、原告の症状が軽快するには、一般に自ら治ゆへの意欲とある程度の期間が必要であるから、もし右事件がなければ原告の症状も軽快に向う可能性が出て来たかもしれず、前記三の最近の症状を考慮してむしろ右事件後の症状について、右後遺症の範囲から外すことが、公平の見地から相当である。なお、前記三認定事実から右後遺症の始期は、昭和四二年八月二二日卒倒して、その後再入院しているので、これからとみるべきである。(藤本清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!